韓国経済、〔犬肉は韓国の食文化〕「私たちは食べ物ではありません」…ソウルで犬肉・伏日反対集会
記事要約:韓国の食文化である犬肉を否定するという全く愚かな集会がソウルで開催されたようだ。管理人のスタンスはいつも同じだが、他国の文化は尊重してこそ、他国への理解が深まる。管理人は犬肉を食べようとは思わないが、犬肉の文化を否定したりしない。
欧州人が鯨を食べる文化を否定するようなものを見てきて思ったことはどんな物でも食べれるならそれは「食べ物」であるということ。日本でもイナゴを食べる県だってあるわけだしな。なら、その県はイナゴを食べるからと否定されるのか。おかしいじゃないか。何食べようがそれは自由だ。ただ、それを押しつけることはダメだ。だから、こういう犬肉食べることを否定しても、それを押しつける行為は良くない。
>団体は「年間に食肉処理される犬の80%に当たる約160万匹が伏日に殺生される。伏の字に『犬』の字が入っているという理由で罪のない犬が殺され食用にされている」と批判した。
こういう主張を見ると人間のエゴを感じる。管理人は大嫌い。この団体に是非とも、「あなたはこれまで食べた豚肉や牛肉の量を覚えているのか」と、問い返したい。罪のないというなら豚も牛もないだろうに。では、あなたはなぜ食べるんだ?こういう矛盾を答えられる人間はいない。
もちろん、ベジタリアンなら豚や牛は食べないかもしれない。でも、野菜だって育てているんだから生きているんだよな。泳いでいる魚を焼いて食べることでも殺している。食べるということは命を奪う行為に他ならない。だからこそ、食べる時に「いただきます」といつも感謝するのだ。
人間は何かの命を奪ってい生きていることを常に感謝するしかないのだ。だから、人間のエゴで豚は食べて、犬は食べないとか。牛は食べないけど、羊は食べるとか、全てエゴだと管理人は断言する。結構言い過ぎたか、食いしん坊の管理人だからこそ、命を食べることへの感謝を忘れたくないのだ。だから、韓国人も犬肉を食べることに感謝しつついただいていると述べればいいのだ。
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韓国経済、〔犬肉は韓国の食文化〕「私たちは食べ物ではありません」…ソウルで犬肉・伏日反対集会
初伏の7月12日を4日後に控え、犬肉と伏日に反対する集会と行進が行われた。
動物保護市民団体「犬肉に反対する友人たち」の会員と一般市民ら100人余り(主宰側推算)が8日午後4時、ソウル・鍾路区の北仁寺広場で集会を開いた。
団体は「年間に食肉処理される犬の80%に当たる約160万匹が伏日に殺生される。伏の字に『犬』の字が入っているという理由で罪のない犬が殺され食用にされている」と批判した。
また「ペット1000万匹時代にも合わない風習の上に、国際的な恥さらしになりかねず国の発展にも役立たない」と指摘した。
彼らはこの日、国会に犬屠殺禁止特別法の制定を促した。また、伏の日に保身湯(ポシンタン、犬肉のスープ)の代わりに飲み物と果物などを食べる慣行が必要だと主張した。
集会参加者は「犬を食べる大韓民国は嫌いです」「ペット動物食用禁止」などと書かれたプラカードを掲げた。「私はペットです」「私たちは食べ物ではありません」などの名札を付けた犬もあちこちで見られた。
彼らは集会終了後、北仁寺広場から普信閣と政府ソウル総合庁舎などを回る約5.4キロメートルを街頭行進した。
動物自由連帯などで構成された「ストップイット2017準備委員会」も9日にソウル広場で「もう食べるのをやめましょう」をスローガンにした犬肉反対行事を行う。
(http://japanese.joins.com/article/041/231041.html)
美味しくするためにできるだけ苦しむように殺すこもあるそうですが、世界中の食文化で他に例はあるでしょうか?
食文化に関する管理人の考えに完全に同意します。
自分も犬を食べたいと思わないが、それは各個人の自由である。
鯨やイルカに対する一部の欧米人の狂気じみた考えは全く受け入れられない。
人間何を食べようと自由であるが、その報いは虐殺した者や食べた者に及ぶ。
人間を食べたとすると、その霊的報いはどこかの形であらわれる。欧米で信仰の底流にあるスピチュアリズムによれば、犬はその種族全体として、長年人間との生活において、他者への奉仕の精神を身につけ、霊格的に利己的な猿族を追い抜いて、霊的な力を人間についで身につけてきたという。霊的な力とは祈りの力を身につけることをいい、虐殺されたときの呪いの力も強まったということでもある。食べることは自由であるが、犬族様の呪いはその人間や国家に及ぶ。これが信実かどうか知らないが、オリンピックの食堂で犬肉を出すということであれば、欧米人の多くは来ないだろう。