韓国経済、関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る

韓国経済、関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る

記事要約:朝鮮学校の白紙化の一件もそうだったが、小池氏はわりとまともな感覚という物を持っているようだ。指摘されて今年から、関東大震災の朝鮮人虐殺の追悼文を断ったそうだ。そもそも、関東大震災の朝鮮人虐殺そのものがデマだからな。

阪神大震災、東日本大震災でもそうだが、避難している家の物を盗もうとする空き巣は存在した。それが朝鮮人だった。当時、関東大震災では警察が駆けつけるほどの余裕もなく、日本人は自衛団を結成してそれに対処したに過ぎない。だいたい、6000人という数字にすら根拠がないからな。そんなあったかどうかもわからない詐欺に付き合う理由はないからな。

もし、あるというなら、裁判でも起こせば良い。だいたい、関東大震災は大正12年だ。1923年のことである。今から94年前のことだ。誰も覚えてないし、100歳の老人がいても子供の頃だし、朝鮮人虐殺がどうとかの記憶はないだろう。だいたい、大災害時にどうやってデマだと決めつけている根拠も聞きたいところだ。


><関東大震災の朝鮮人虐殺> 1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広がった。あおられた民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが虐殺された。通行人の検問が各地で行われ、殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。

嘘の史実をまるであったかのように東京新聞は報道しないでもらえないか?デマで多数虐殺されたというなら、さっさと証拠を出せよ。管理人は朝鮮人の空き巣などの被害を見る限りでは、デマではないとおもうがな。殺されたことはあっても、せいせい数百人だ。6000人とか盛りすぎなんだよ。元慰安婦の20万人と何ら変わらない。

こういうデマで日本人の自虐史観を引き起こそうとメディアは必死だが、管理人は否定する。まず、あったという証拠を確実に出せ。6000人が虐殺されたのなら、そのリストを一部でもだしてからいえと。

>これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。

管理人からすれば根拠のないことを否定するのは当然だが、今の日本ではこれだけのことで評価されるということだ。それだけの日本がまともでないということの証左になるのが残念なわけだが、証拠がないこと。90年以上の前のこと。そんなものに一々、構ってられるか。そのうち、秀吉が朝鮮出兵して朝鮮人を虐殺したとか言い出すぞ。

韓国経済危機の軌跡(過去のメルマガ無料公開(1回~235回)

人気ブログランキング の応援(1日1回クリック)をお願いする。

〔北朝鮮、韓国、朝鮮半島有事〕のまとめ

韓国経済、関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る

東京都の小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で九月一日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之、榊原智康)

追悼文を断った理由について、都建設局公園緑地部は本紙の取材に、都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の九月一日と東京大空襲の三月十日に開催されることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明。「今後、他の団体から要請があっても出さない」としている。

追悼文は一九七〇年代から出しているとみられ、主催者によると確かなのは二〇〇六年以降、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池各知事が送付してきた。

追悼式が行われる横網町公園内には、七三年に民間団体が建立した朝鮮人犠牲者追悼碑があり、現在は都が所有している。そこには「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」と刻まれている。

追悼碑を巡っては、今年三月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。

これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。

式を主催する団体の赤石英夫・日朝協会都連合会事務局長(76)は「犠牲者数は碑文の人数を踏襲してきた。天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なり、大法要で一緒に追悼するからという説明は納得できない」と話した。

<関東大震災の朝鮮人虐殺> 1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広がった。あおられた民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが虐殺された。通行人の検問が各地で行われ、殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。

(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017082402000130.html)

韓国経済、関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る」への2件のフィードバック

  1. 桝添氏への反省という点では、小池都知事も実に素晴らしいことをやってくださるのですが、
    やはり豊洲問題でも、これくらい決然たる内容のことをやってくれればよかったのに、と思っちゃいます。
    ……考えてみれば、既に計画性を持って進められていた事物にしろ、こういった捏造的な事物にしろ、
    何でもかんでもともかくノーを突きつけてるだけ、という見方もできますが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です