世界最高の民主主義 韓国のろうそく集会は呪術の場と化しているのか-尹大統領の像をズタズタに引き裂く!【動画】

世界最高の民主主義 今回、韓国社会のテーマとなるが、韓国社会と言えば自称、世会最高の民主主義と呼ばれる「ローソクデモ」を語ることは避けては通れない。彼らはあれこそ、最高の民主主義だとその朴槿恵政権を退陣に追い込んだことで、その勝利の美酒に酔いしれた。まさに大規模デモで時の政権を打ち倒すような結果を与えてしまった朴槿恵政権は後世にとんでもない爪痕を残した。

それが北朝鮮シンパや共に民主党による扇動工作であったことは言うまでもない。なぜなら、ムン君の時代にはそのようなローソクデモは開かれてないのだ。理由は簡単だ。ムン君は彼らの仲間だから。なら、当然、保守派であるユン氏に対して、同じようなことが起きているなんて想像に難くない。

今回の記事はかなり現場のリアルを色々と教えてくれるので非常に面白い。例えば、朴槿恵政権の時を軽く見ておくと。朴大統領の姿を模した造形物が必ず登場して、鶏卵を投げ付け、顔に落書きしてあざけるということが繰り返されたという。しかも、そこには手を叩いて歌を歌い、スローガンを叫んだ市民の姿があった。こちらも2メートルの慰安婦像やギロチンが登場したときは大爆笑したものだが、やはり、こういうローソク集会にもあるマニュアルがあるようだ。

しかも、それが人々を扇動しやすいようにする「呪術的」なものだとしたらどうだ?つまり、ローソク集会というのは原始宗教とデモを合わせた扇動装置なのである。だからこそ、彼らの粛清対象である造形物はかかせないのだ。今回は韓国社会でも抜群にヤバいローソク集会を見ていく。

では、記事の要点を整理していこう。

■記事の要点

1.彼らの集会には造形物や象徴物が欠かせない。参加者らは、ある日はサイズが2メートル近くある尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の造形物を引っ張り出し、ある日は膝を屈した尹大統領の像の額にお札をべたべたと貼ったりもした。顔を大きく描いて「背倫尹錫悦」と記した、往復10車線の道路をふさぐほど大きい掛け図を広げておいて、ずたずたに引き裂くイベントをやった日もある。

2.例えば1月9日、国会で尹大統領の裸体画の展示会を開こうとした団体のメンバーの相当数は、かつて朴槿恵大統領のヌード風刺画「ドロウン・ジャム」などを国会に展示した「すぐに、BYE!展 作家連帯」のメンバーと重なるという。

3.辺りが暗くなるころにろうそくをともし、造形物が登場し、周期的に繰り返されるという点で、ろうそく集会は祭儀に類する性格を有している。ドイツのナチスが重視していたニュルンベルク全党大会のハイライトも、暗がりの中で行われるろうそく行進だった。祭儀的行為を通して、群衆は互いを模倣し、一体感を持つようになる。そうして自分たちだけの物語を作っていく。

4.あらゆる祭儀には「犠牲の羊」が必要だ。朴槿恵政権時代においてそれは、セウォル号に乗って修学旅行に行き、命を落とした高校生たちだった。現政権では、ハロウィーンの祝祭で命を落とした若者たちが絶えず召喚されるだろう。死であれば誰でも召喚されるわけではない。「ろうそく」は死を差別する。

5.今のろうそく集会で、かつての弾劾政局のころに出現した集会の様子が再現されているのを見ると、第2次大戦が終わった後、太平洋の島しょ地域の原住民に見られた「貨物崇拝(Cargo Cult)」が連想される。戦争が終わった後、人類学者らが島を訪れたとき、原住民らが滑走路の横に格納庫や管制塔を模した小屋を建て、木で作ったヘッドセット風の器具を身に着けて、空に向かって手を振る様子がひんぱんに見られた。そうすれば飛行機が現れて品物がぎっしり入った箱を落としてくれると信じる、原始的な心理に由来する儀式だ。原住民らは外見のみをまねただけで、因果関係を理解していなかった。

6.ろうそく集会も、ある人々は、単に「一生懸命やれば大統領が弾劾されたり退陣したりするだろう」と信じてやっているのかもしれない。薄暗い中でろうそくを持ち、笑ったり踊ったりしている参加者らを撮った写真を見ると、その高揚した表情からは呪術的熱気すら感じられる。雨が降るまで終わらない雨乞いのように、このろうそく集会は現政権が終わるまで続くだろう。大統領であれ誰であれ、市民が宗教の自由を享受することを妨げる方法もない。

以上の6つだ。もう、要点を整理するだけでお腹いっぱいとかおもうかもしれないが、韓国社会を知ることで、どれだけ韓国という国が北朝鮮シンパに入り込まれて、絶えず、毎日、どこかで反政府運動が展開されている現実を理解できる。

それは以前に特集した民主総連の下部組織、貨物連隊による「物流スト」でもそうだった。彼らの要求はなぜか、最低運賃制の適用範囲拡大以外に、ソウルの雑踏事故での事件の追及だったからな。

では、1から見ていこう。ローソク集会には造形物がかかせない。2メートルのユン氏の像に対して、お札をベタベタと貼っていると。あれか。呪殺でも狙っているのか。自分らの呪いでユン氏を抹殺しようという試みか。本当、呪術だよな。日本で言えば呪いの藁人形みたいなやつだよな。人形にユン氏の写真を貼って五寸釘で打ち付けるやつだ。もう、既にやってそうだが。なあ、凄いだろう。これが世会最高の民主主義らしいぜ。デモに夢中の彼らは原始人か何かなのか。

次に2が、北朝鮮シンパの連中だと。あれだよな。本当、やることがワンパターンだ。だいたい、ムン君のほうが酷かったのに、そのムン君に対しては沈黙だからな。

そして、3が鋭い指摘だ。もう一度読んでおこう。

辺りが暗くなるころにろうそくをともし、造形物が登場し、周期的に繰り返されるという点で、ろうそく集会は祭儀に類する性格を有している。ドイツのナチスが重視していたニュルンベルク全党大会のハイライトも、暗がりの中で行われるろうそく行進だった。祭儀的行為を通して、群衆は互いを模倣し、一体感を持つようになる。そうして自分たちだけの物語を作っていく。

世の中、カルト宗教というのは色々あるわけだが、このように信者を洗脳する方法として集団で何かをして、それを繰り返す行為が用いられる。集団に参加することで一体感を強調し、自分らのマスターにより忠実に従うようになる。怪しげな儀式というのは、気味が悪いを超えると、そこにある独特な雰囲気に酔いしれてしまう。こちらも漫画やアニメ、小説ぐらいでしか実態は知らないが、怪しい宗教を見分ける方法の1つとして、「空気を読む」というのがある。

例えば、何かのカルト集会にあろうことか参加させられたとき、空気の異常さに気づけば、そこに広がる異質な光景に嫌悪して、洗脳にかかることもない。これは最初が肝心だ。文字通り空気を読むだ。こちらの実体談でありますが、皆様、怪しげな知人には気をつけてほしい。例えば、知人の親がそういう関係だったら、その子供はその雰囲気が異常だとも気づかないことが多い。だから、気軽に知り合いを誘おうとする。もちろん、そのようなことがあればその知人に生涯、会うことはないのだが。

きっとローソク集会も異常なのだろう。だが、その異常なことを何度も繰り返すごとで、いつしか快感にかわる。そういえば、日本でもありましたね。我が国の天皇陛下の写真を燃やすなどという不届き千万なことをして、それが芸術だと述べた連中がいた。あろうことか。それを国の公費でやってのけたが、多くの日本人による反対でそれは中止となった。

洗脳を上手くするには物語を作る。それは自分たちだけで共有できる最高の物語になる。そうだよな。ローソクデモを数回よりも、何十回とやることで、儀式的なものへと変化する。彼らが20世紀のドイツのやり方を研究していても不思議ではない。そういう連中だからな。

次は4だ。彼らにとって多くの国民の犠牲は自分らが気に入らない政権批判の道具に過ぎないと。その事故が悲惨であればるほど利用するということ。本当、こういう連中には苛立つばかりだ。だが、これがローソクデモの実態だ。これがまともな民主主義とか述べている韓国人は既に洗脳されているんじゃないか。

そして、次は5だ。現代はその光景を動画で拡散できるからな。こちらも朴槿恵政権のローソクデモを等か見たことあるが、走路の広場に集まって歌や踊りを踊って政権批判するだけで身内で盛り上がるという超くだらないものだった。あれで本人は真面目とか思っているなら、もはや、洗脳されているんだろうな。以下に庶民が操りやすいかがよくわかる事例である。悪者を作って餌をまけば勝手に食いついてくれるものな。占いがどうとかで政権ぶっ壊れたからな。

最後の6はまとめだ。

薄暗い中でろうそくを持ち、笑ったり踊ったりしている参加者らを撮った写真を見ると、その高揚した表情からは呪術的熱気すら感じられる。雨が降るまで終わらない雨乞いのように、このろうそく集会は現政権が終わるまで続くだろう。

完全に洗脳されてるのか。自分の行為が正義の行いとか酔いしれてるのか。宗教の自由を否定するつもりはないが、こんなロウソク集会が一度でも政権を破壊したという事実亜があまりにも重いな。彼らは何も気づいてないが、それこそ韓国崩壊の始まりとして後世の歴史家が語ることになるのにな。

先の土曜日、ソウルの南大門付近で「ろうそく集会」が開かれた。昼間の最高気温すら0度を下回る寒さにもかかわらず、数百人が参加して手をたたいて歌を歌い、スローガンを叫んだ。まるで宗教の集会か祭典の現場のようだった。毎週繰り返されるイベントだからなのか、メディアではあまり報じられないが、イベントの主催である「ろうそく行動」のフェイスブックのコンテンツには生々しい現場の雰囲気が捉えられている。イベントはもう24週にわたって開かれていた。

 彼らの集会には造形物や象徴物が欠かせない。参加者らは、ある日はサイズが2メートル近くある尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の造形物を引っ張り出し、ある日は膝を屈した尹大統領の像の額にお札をべたべたと貼ったりもした。顔を大きく描いて「背倫尹錫悦」と記した、往復10車線の道路をふさぐほど大きい掛け図を広げておいて、ずたずたに引き裂くイベントをやった日もある。

 こうした様子は6年前を思い起こさせる。朴槿恵(パク・クンへ)政権末期の光化門でも、連日ろうそく集会が開かれた。そのときも、朴大統領の姿を模した造形物が必ず登場し、鶏卵を投げ付け、顔に落書きしてあざけるということが繰り返された。偶発的に起きたことではなかった。誰かが準備したイベントだった。「あのころ、あの人々」が、今また同じようなことをやっている兆候が見られる。

例えば1月9日、国会で尹大統領の裸体画の展示会を開こうとした団体のメンバーの相当数は、かつて朴槿恵大統領のヌード風刺画「ドロウン・ジャム」などを国会に展示した「すぐに、BYE!展 作家連帯」のメンバーと重なるという。

 辺りが暗くなるころにろうそくをともし、造形物が登場し、周期的に繰り返されるという点で、ろうそく集会は祭儀に類する性格を有している。ドイツのナチスが重視していたニュルンベルク全党大会のハイライトも、暗がりの中で行われるろうそく行進だった。祭儀的行為を通して、群衆は互いを模倣し、一体感を持つようになる。そうして自分たちだけの物語を作っていく。

20世紀初頭のファシズムを研究している学者らは、繰り返される集会と象徴、行進などを通して大衆が自らを崇拝する「政治宗教」が登場した、とみている。ろうそく集会も、23回、24回…こうして回数を重ねる中で、物語を作っていっている。その点で、時折開かれる、いわゆる太極旗集会とは全く性格が異なる。

 あらゆる祭儀には「犠牲の羊」が必要だ。朴槿恵政権時代においてそれは、セウォル号に乗って修学旅行に行き、命を落とした高校生たちだった。現政権では、ハロウィーンの祝祭で命を落とした若者たちが絶えず召喚されるだろう。死であれば誰でも召喚されるわけではない。「ろうそく」は死を差別する。例えば文在寅(ムン・ジェイン)政権時代の堤川スポーツセンター火災や光州鶴洞ビル崩壊事故の死者が、犠牲者として呼名されることはあり得ない。これは、「ろうそく」祭儀を開く司祭たち固有の権限だ。

 今のろうそく集会で、かつての弾劾政局のころに出現した集会の様子が再現されているのを見ると、第2次大戦が終わった後、太平洋の島しょ地域の原住民に見られた「貨物崇拝(Cargo Cult)」が連想される。戦争が終わった後、人類学者らが島を訪れたとき、原住民らが滑走路の横に格納庫や管制塔を模した小屋を建て、木で作ったヘッドセット風の器具を身に着けて、空に向かって手を振る様子がひんぱんに見られた。そうすれば飛行機が現れて品物がぎっしり入った箱を落としてくれると信じる、原始的な心理に由来する儀式だ。原住民らは外見のみをまねただけで、因果関係を理解していなかった。

 ろうそく集会も、ある人々は、単に「一生懸命やれば大統領が弾劾されたり退陣したりするだろう」と信じてやっているのかもしれない。薄暗い中でろうそくを持ち、笑ったり踊ったりしている参加者らを撮った写真を見ると、その高揚した表情からは呪術的熱気すら感じられる。雨が降るまで終わらない雨乞いのように、このろうそく集会は現政権が終わるまで続くだろう。大統領であれ誰であれ、市民が宗教の自由を享受することを妨げる方法もない。

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