韓国経済、〔自殺を止めてくれない社会〕病める韓国社会、自殺場面まで生中継
記事要約:なんだろうな。今回の記事は読んでて憤りを感じる。どうして1人も自殺を生中継する本人を止めようとしなかった。ネットの中継を見て他人事のように感じるのは一種の集団心理かもしれない。
だが、明らかに自殺の生中継を出くわして止めないなど、それは「共犯」ではないのか。管理人は自殺幇助の罪に問えるとおもう。韓国で起きたことであるが命というものを安易に考えすぎである。辛いことだって生きていれば色々ある。自殺現場を目撃することだってあるかもしれない。だが、それに対してどのような行動を取るかはその人が生きた人間性というものが1番試される。少なくとも管理人はそういう場面は説得する。言葉足らずかもしれないが、それでもだ。
インターネットの中継というのは韓国だけではない。日本でもある。YOUTUBEで稼ぐ人間も出てきた。それは1つの社会の変化のあり方であるので、その良し悪しはそれが続くかどうかの話しだ。最近、日本の小学生は将来の夢でYOUTUBEで儲けたいと思っているようだが、現実はそんなに甘くない。普通に生きたいならどこかの企業で真面目に働くほうがいいだろう。
>視聴者の1人がからかうように「飛び降りろ」とコメントした。Aさんは焼酎を飲みながら、弁当を食べた後、「じゃ、逝くよ」と言って立ち上がった。そして、「母さんもいないのに、どうやって行きていけばよいのか」と言いながら、2匹いた飼い犬のうち1匹を8階の窓の外に放り投げた。その後、残る1匹を抱き、自分も窓から飛び降りた。「あーっ」という悲鳴もそのままライブで流れた。画面の角度の関係で飛び降りる様子は見えなかった。通報を受けた救急隊はAさんを近くの病院に搬送したが、1時間後に死亡した。飼い犬も1匹が死に、1匹は重傷を負った。
自殺するのは本人の勝手かもしれないが、飼い犬まで放り投げるなよ。犬が可哀想だろう。犬は主人と心中するつもりなどないのにな。こういう自殺者も腹立つな。1人で死ねないからと動物の命を奪うなよ。傲慢なのだぞ。そもそも1人で死ねないから中継したんだろうか。止めて欲しかったんだろうか。
>Aさんは5年前からインターネット放送を開始した。所属するインターネット放送局では古株だった。しかし、最近視聴者が減ると、周辺にうつの症状を訴えるようになったという。遺族は「人気が落ち込んでいる時にはひどいコメント一つが致命的になったのかもしれない」と話した。同僚は「熱心に放送に取り組んでいた人だった。突然の死にショックを受けている」と語った。釜山沙上署は正確な死亡経緯を把握するため、インターネット放送局から当時の映像の提出を受け、分析を進めている。
これは良くあることだな。ネットに限らず。管理人もサイトを運営している以上、読者様のアクセス数にはそれなりに気にしている。ただ、管理人のやっていることは誰かに認めてほしいからしているわけでもなく、ただ単に管理人が言いたいこと、紹介したいことをサイトで綴っているだけなのだ。
韓国経済では1番人気のサイトではあるが、アクセス数を増やすにしても後は記事更新の回数ぐらいしかやることはない。少なくとも個人サイトでトップであるが、後は本当に企業との争いなので勝てるわけないんだよな。
1人と大人数で競っても最初から勝負は見えている。本当に競うならサイトを法人化してバイトでも雇うしかない。ただ、それを行う理由がない。なぜなら、このサイトで求められているのは管理人の個性そのものだからだ。文章というのは個性の塊である。記者によって同じ文章というのはコピーでもしない限りは無理だし、同じテーマで書いても、数日経過すれば別の言葉で表現されることも良くある。
インターネットの生中継だってそうだ。毎日、面白いネタを用意できるわけないんだよな。ただ、管理人はサイトの音声化や動画化を考えているんだよな。今、バーチャルユーチュバーというのが人気になっているのだが、管理人の突っ込みをこのバーチャルした人間に喋らすのは面白いのではないかと。実際、その方法そのものはあまりわかっていないのだが。
話が脱線していると思うかも知れないが、文章がきついのであまり進めたくないんだよな。ただ、知って欲しいことはある。
>専門家は認められたいという欲求の歪みが事件を引き起こしたとみている。10-30代の若い世代がプライドを取り戻そうとして、自殺を生中継したとの見方だ。これまでは暴力やわいせつ映像が中心だったが、のぞき趣味がエスカレートし、ついには自殺の生中継にまで及んだというのだ。檀国大心理学科の林明鎬(イム・ミョンホ)教授は「誰かのプライベートな部分を眺める行為は、その人の恥部をのぞくことができる力や権力を持ったという快感につながる。コンプレックスを感じる若者の一部がインターネット放送を通じ、満足を覚えようとする傾向を示す」と指摘した。
誰かに認めて欲しいという欲求はあると思う。人間は社会でしか生きられないからだ。1人で生きられるような人間はいない。ご飯を食べるにしてもお金が必要だ。自給自足するにしても畑がいるし、畑の苗を調達する必要がある。家畜もその辺にいるわけではない。お金を稼ぐというのは結局、社会で生きていることになる。稼ぎ方は自由が、インターネットの生中継だってそうだろう。だが、最初は上手くいってもそれを維持するのは難しい。なぜなら、競争相手がいるからだ。
女性が容姿をうりにしていたら、もっと可愛い子が現れてアクセス数が減ったとか。普通にあるだろう。こういうのはニコニコ動画でも良くあるんだよな。管理人はそういう生中継はゲームで遊んでいるものしか見ないので、配信して何しているのかは知らないんだが。そして、人気を維持するために段々と過激な行動や発言をするようになる。でも、それも長くは続かないんだよな。で、最後は自殺中継に至ったと。悲しいことではあるが稀にある。
>インターネットによる個人配信は、そうした傾向を強めたと指摘されている。配信者と視聴者はリアルタイムでやりとりする間、互いの関心を引こうとする。配信者は視聴者の名前やコメントを読み上げながら、要求事項を聞き届け、視聴者は仮想通貨をつぎ込んで注目を浴びようとする。それがエスカレートすると虐待的な行為やコメントばかりになってしまう。
インターネット中継の問題点の1つであるな。確かに要望を聞き入れるのは大事だとおもうが、管理者は自分の定めたルールを要望があるからと安易に破ってはいけない。管理人はサイトの目的に書いてあることは必ず守っている。でないと歯止めがきかないからだ。
人気のサイトになれば荒らしコメントなどが増えるわけだが、こういうのは読んでいる人間には不愉快なわけだ。特にインターネットの生中継ならダイレクトに管理者や視聴者に伝わるわけで、こういうのを排除できない時点でこの管理者は生中継に耐えられるほどの強さを持ち合わせていなかった。
誹謗中傷するのも意見の1つかもしれないが、何に対してがない場合は別である。つまり、主語がない誹謗中傷はただの荒らしである。中継ならそういうのは無視するぐらい精神が求められる。追い詰められていったんだろうな。そして、視聴者はそこまで深い意味で言ったわけではないと。
だが、言葉をどう捉えるかは本人なのだ。何気ない言葉に傷つくことだって大いにある。自殺中継を見て「飛び降りろ」といった韓国人はまさか本当に飛び降りるとは思ってなかったというだろう。でないと、自分が殺人犯にされるからだ。
>文化評論家のハ・ジェグン氏は「視聴者が減り、うつになったというA氏が自殺すると言いだした際、本当に聞きたかったのは、それを制止しようという説得や励ましだったはずだ。人間的な感情が消え、刺激だけが残ったため、視聴者は自殺をそそのかし、Aさんには極端な選択しかなかった」と分析した。延世大心理学科のイ・ドングィ教授は「大衆の欲求に合わせる配信者がますます自害的になり、行き過ぎたことをしようとする。抜本的な対策が必要だ」と指摘した。
すでにうつになっている時点でもう手遅れだったのだろう。それなら配信を止めれば良かったと思うが、それは本人が決めたこと。インターネットの生中継で自殺する人生なんて誰もおくりたいはずはない。だが、相応にして人は死ぬ。それが自虐史観の怖いところなのだ。ヘル朝鮮も自虐史観の1つである。
管理人がこの記事を取り上げた理由はここにある。日本人が教育で植え付けられた自虐史観をぶち壊したいのだ。このような残念な結果にならないように。それを伝えるためだけに1時間もかかった。
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韓国経済、〔自殺を止めてくれない社会〕病める韓国社会、自殺場面まで生中継
自殺事件はできるだけ報道しないというのがメディアの原則だ。別の自殺事件を誘発しかねないからだ。しかし、社会の病理を端的に表すような事件となれば別だ。報道の公益的効果の方が大きいためだ。3月5日に釜山市で起きたインターネットでの自殺生中継事件がそうだ。歪んだのぞき趣味が増幅した韓国社会の病的な側面を物語っているからだ。
■自殺を生中継で眺める韓国社会
3月5日午前11時ごろ、釜山市沙上区のワンルームでインターネット放送局の司会者Aさん(35・女)がライブ配信を始めた。アクセスした視聴者は約20人。Aさんは「インターネット放送は大変でやっていけない。何をやればいいのか分からない」などと話した後、「3月7日が何の日だか知っているか」と2日後の自殺を暗示した。すると、視聴者の1人がからかうように「飛び降りろ」とコメントした。Aさんは焼酎を飲みながら、弁当を食べた後、「じゃ、逝くよ」と言って立ち上がった。そして、「母さんもいないのに、どうやって行きていけばよいのか」と言いながら、2匹いた飼い犬のうち1匹を8階の窓の外に放り投げた。その後、残る1匹を抱き、自分も窓から飛び降りた。「あーっ」という悲鳴もそのままライブで流れた。画面の角度の関係で飛び降りる様子は見えなかった。通報を受けた救急隊はAさんを近くの病院に搬送したが、1時間後に死亡した。飼い犬も1匹が死に、1匹は重傷を負った。
3月7日午後、釜山市水営区の葬儀会場には遺族や同僚が集まっていた。警察と遺族によると、Aさんは5年前からインターネット放送を開始した。所属するインターネット放送局では古株だった。しかし、最近視聴者が減ると、周辺にうつの症状を訴えるようになったという。遺族は「人気が落ち込んでいる時にはひどいコメント一つが致命的になったのかもしれない」と話した。同僚は「熱心に放送に取り組んでいた人だった。突然の死にショックを受けている」と語った。釜山沙上署は正確な死亡経緯を把握するため、インターネット放送局から当時の映像の提出を受け、分析を進めている。
■認められたいという欲求の歪み
専門家は認められたいという欲求の歪みが事件を引き起こしたとみている。10-30代の若い世代がプライドを取り戻そうとして、自殺を生中継したとの見方だ。これまでは暴力やわいせつ映像が中心だったが、のぞき趣味がエスカレートし、ついには自殺の生中継にまで及んだというのだ。檀国大心理学科の林明鎬(イム・ミョンホ)教授は「誰かのプライベートな部分を眺める行為は、その人の恥部をのぞくことができる力や権力を持ったという快感につながる。コンプレックスを感じる若者の一部がインターネット放送を通じ、満足を覚えようとする傾向を示す」と指摘した。
インターネットによる個人配信は、そうした傾向を強めたと指摘されている。配信者と視聴者はリアルタイムでやりとりする間、互いの関心を引こうとする。配信者は視聴者の名前やコメントを読み上げながら、要求事項を聞き届け、視聴者は仮想通貨をつぎ込んで注目を浴びようとする。それがエスカレートすると虐待的な行為やコメントばかりになってしまう。
文化評論家のハ・ジェグン氏は「視聴者が減り、うつになったというA氏が自殺すると言いだした際、本当に聞きたかったのは、それを制止しようという説得や励ましだったはずだ。人間的な感情が消え、刺激だけが残ったため、視聴者は自殺をそそのかし、Aさんには極端な選択しかなかった」と分析した。延世大心理学科のイ・ドングィ教授は「大衆の欲求に合わせる配信者がますます自害的になり、行き過ぎたことをしようとする。抜本的な対策が必要だ」と指摘した。
(http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/04/13/2018041301713_2.html)