韓国経済、特恵を受けて責任を負わない賎民上層が「ヘル朝鮮」の自嘲を作る
記事要約:やはり、年の功というべきか。今の韓国の洗脳教育を受けていない時代の韓国人は韓国のどこに問題があるかをはっきりと認識している。管理人はこのような韓国人、元老社会学者、宋復(ソン・ボク)延世(ヨンセ)大名誉教授(80)が文壇に立っていることに驚いた。そして、教育というものがどれだけ重要なのかを改めて認識させられた。この韓国人は賢いとかのレベルではない。悟っているといえばいいのだろうか。
管理人はずっと韓国社会を見てきて出した結論の先の答えを見いだしている。80年間生きて、時代に流されて変わっていく韓国を見てきたからこその見解だろう。若者にはかなりわかりにくい言葉なのだが。恐ろしい人物でもある。もし、彼が「最後の良心」だと考えればもうやり直す時はとっくに過ぎ去った。残念ながら遅いと思う。このような彼の主張を受け入れるにはもう韓国では不可能なのだ。しかし、社会学者て凄いな。てか、こういう韓国人がしっかり育っていれば,こんな絶望はなかったんだろうな。
読者様は管理人は一体、何を述べているのかあまり理解出来ないかも知れない。おそらく、これを理解するには韓国や韓国経済の内情についての知識量が問われてくる。その知識量によって衝撃の度合いが異なってくる。管理人のサイトを1年間ぐらい毎日通っていたら,衝撃を受けるんじゃないだろうか。この教授、本当に韓国人なのかと。でも、わかりやすく解説していくのがこのサイトの方針なので、とりあえず、管理人の知識を総動員して解説していく。
> 「遠い国に行ってみようか/行ってみて飢えれば鼻歌でも歌ってみようか/どうせ悔しい思いをするのなら/母国よりもっと悔しい思いを/骨身にしみて暮らしてみようか…」。
このような詠を普通に朗読出来る時点で只者じゃないのだが、この詩は「「時代の絶望」を自虐する詩だという。意味は「「この国に暮らすのがどれほど悔しくつらくて、他の国に行って暮らそうとしたのか。絶対的絶望に陥っていた若者の怒りと挫折が込められた詩だ」。今回のテーマは「ヘル朝鮮」である。しかも、韓国の大統領が「ヘル朝鮮」という言葉に気付いて、言葉だけを変えようというレベルではない。ヘル朝鮮という言葉が何故出てきたか。
>宋教授が数十年前の愛誦詩を取り上げたのは、当時の若者の怒りが50年余り過ぎた今によみ がえったと感じているからだ。「わが国は世界10位圏の富国になった。ところが若者はまた絶望を話している。『ヘル朝鮮』などの言葉を聞いて、その原因について悩んだ」。宋教授は最近、悩みの結果を込めた著書『特恵と責任』を出した。
この教授の本「特需と責任」が日本語訳にされたら読んでみたいところだな。おそらく、今の韓国という現状を鋭く指摘していることだろう。当時の若者の怒りが50年あまり過ぎた今に蘇ったかどうかはしらない。だが、管理人は韓国の若者は経済規模だけ大きくなって、自分たちの生活が全く良くならない韓国社会の現実に絶望を感じていることを知っている。
> --若者たちはなぜ怒っているのか。
「根本的な原因は我々の社会の貪欲的上層のためだ。ネクソンの株を賄賂で受けた容疑で裁判を受けている陳キョン準(チン・キョンジュ ン)元検事長、息子が機動警察で職務特恵を受けた禹柄宇(ウ・ビョンウ)青瓦台民情首席秘書官、国民を犬や豚のように見る教育部企画官など上層にいる人た ちが見せた行為は本当に恥ずかしいことだ。彼らを見ていると希望が見えない。若者は『ヘル朝鮮』と叫び、この国を脱出したいと感じる」 <
これを見る限りでは貪欲的上層とは財閥のことである。古く両班という韓国の官僚制度があったわけだが、現代の韓国社会もこの両班支配に近い。管理人も両班についてはイザベラ・バードやその辺りの旅行記から知らないのではっきりとした知識があるわけないのだが、特権階級というものが国を支配して、庶民を搾取する構造といっていい。
昨日、日韓通貨スワップ協定の再開が財閥の意向に沿った「韓国側の土下座」だと指摘した。たまに日韓通貨スワップ協定で日本にメリットがないと述べると、韓国内の日本の企業も危機時に助かるとか突っ込みが来るが,そもそも、韓国に100億ドル分を通貨交換するぐらいなら、その危機になっている日本企業を100億ドルで直接助けた方が無駄がないと管理人は思う。だから、反論にはなっていない。
話はずれたが財閥の支配体制は、財閥一族が犯罪を犯そうが恩赦されたりするわけだ。ナッツ・リターン事件でどうして大韓航空があれだけ叩かれたのか。大韓航空そのものが韓国で稼いでなくほとんど外国で利益を上げている側面もあるが、財閥の一族が犯罪を犯そうがすぐに釈放されて悠々自適に暮らしているという絶対的な不平等を「特需」と呼び,韓国の若者は生まれながらにしてその差に絶望する。
財閥に生まれただけで将来は約束されたものであるためだ。そして、自分たちが支配階級だとわかれば犯罪なんて当たり前。どうせ犯罪を犯そうがすぐに釈放される。気に入らない部下がいれば速攻、殴って首にできる。その財閥に入るために若者が死にものぐるいで勉強し、ようやく就職した人生をたった数秒で失う。これが本当にたった数秒なのだ。失敗した部下を首にするんじゃない。気に入らないから首にするのだ。この教授が指摘しているとおり、若者はそんな彼らを見てこの国は地獄だと痛感して生まれた言葉が「ヘル朝鮮」である。
>--我々の上層はなぜそうなのか。
「我々の社会の上層は概して当代にその地位に上がった人たちだ。私はこの人たちを社会のエリートで政治・経済・社会・文化各職域の権 力を握った高位職層の『ニューハイ(New High)と大企業家層の『ニューリッチ(New Rich)』に分類する。この人たちには西欧社会のように 数世代にわたる歴史がない。祖父の世代から積み上げられてきた常識・教養・文化と倫理が内面化されていないということだ。内面化とは無意識的に行動する時 でも教養を守ることを意味する。酒に酔っても限度を越えず節制できるほどの水準だ。ニューリッチはそれなりに家の歴史も古く、幼い頃から子どもの訓練をよ くするという面でまだよい。いま韓国がこの水準まで来ることができたのはニューリッチのおかげだ。しかし各種試験などを通じて上層に上がったニューハイは そうでない。自分が受けている特恵を認識できず、責任を果たさない『賎民上層』の姿を見せている」<
この教授は本当に鋭い。長年、名門として栄えてきた貴族階級には常識、教養や倫理などが教えられている。しかし、韓国にいるのは伝統のないただの成り上がりにはそれがない。ニューハイやニューリッチとか書いてあるが、つまり、韓国内の上流階級にも「伝統」と「成り上がり」の大きく2つの種類が存在する。そして、彼らはただのならず者なので、自分が受けている特恵を認識できず、責任を果たさない『賎民上層』を形成したと。
会社の社長やCEOなど企業のトップに立つ者には重い責任がのしかかる。しかし、財閥が支配する社会では何の苦労もせずに親のコネだけで企業の重役に就き、たいしたこと仕事もせずに遊んで生きていく。しかも、責任を果たさないので自分の行動が抑えられない。ナッツ・リターン事件のナッツ姫を見ればわかるとおりだ。ナッツが袋に入っているか,入ってないかだけで飛行機を引き返させるという世紀に残る愚行をしでかした。こんなこと常識が一欠片でもあれば起こる事件ではないのだ。
ちょっと長くなりすぎた。このまま突っ込んでいたらこの記事だけで1日終わるのでこれぐらいにしておく。後は各自読んでもらえれば良い。結論はすでに述べたとおり、この教授のような韓国人はもうほとんどいない。今の韓国の反日教育と自虐教育ではここまで卓越した韓国人はまず育たない。仮に育っても「韓国」では生きていけないと聡のですでに韓国にはいないだろう。
韓国経済、特恵を受けて責任を負わない賎民上層が「ヘル朝鮮」の自嘲を作る
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「遠い国に行ってみようか/行ってみて飢えれば鼻歌でも歌ってみようか/どうせ悔しい思いをするのなら/母国よりもっと悔しい思いを/骨身にしみて暮らしてみようか…」。
22日、ソウル光化門(クァンファムン)のあるカフェで会った元老社会学者、宋復(ソン・ボク)延世(ヨンセ)大名誉教授(80)は 詩を詠んだ。詩人・朴在森(パク・ジェサム)氏の『序詩』だった。1950-60年代の希望を見つけるのが難しかった青年時代、宋教授が叫ぶようにして路 上で詠んだ詩だった。宋教授は「時代の絶望」を自虐する詩だと紹介した。
「この国に暮らすのがどれほど悔しくつらくて、他の国に行って暮らそうとしたのか。絶対的絶望に陥っていた若者の怒りと挫折が込められた詩だ」。
宋教授が数十年前の愛誦詩を取り上げたのは、当時の若者の怒りが50年余り過ぎた今によみがえったと感じているからだ。「わが国は世 界10位圏の富国になった。ところが若者はまた絶望を話している。『ヘル朝鮮』などの言葉を聞いて、その原因について悩んだ」。宋教授は最近、悩みの結果 を込めた著書『特恵と責任』を出した。
--若者たちはなぜ怒っているのか。
「根本的な原因は我々の社会の貪欲的上層のためだ。ネクソンの株を賄賂で受けた容疑で裁判を受けている陳キョン準(チン・キョンジュ ン)元検事長、息子が機動警察で職務特恵を受けた禹柄宇(ウ・ビョンウ)青瓦台民情首席秘書官、国民を犬や豚のように見る教育部企画官など上層にいる人た ちが見せた行為は本当に恥ずかしいことだ。彼らを見ていると希望が見えない。若者は『ヘル朝鮮』と叫び、この国を脱出したいと感じる」
--我々の上層はなぜそうなのか。
「我々の社会の上層は概して当代にその地位に上がった人たちだ。私はこの人たちを社会のエリートで政治・経済・社会・文化各職域の権 力を握った高位職層の『ニューハイ(New High)と大企業家層の『ニューリッチ(New Rich)』に分類する。この人たちには西欧社会のように 数世代にわたる歴史がない。祖父の世代から積み上げられてきた常識・教養・文化と倫理が内面化されていないということだ。内面化とは無意識的に行動する時 でも教養を守ることを意味する。酒に酔っても限度を越えず節制できるほどの水準だ。ニューリッチはそれなりに家の歴史も古く、幼い頃から子どもの訓練をよ くするという面でまだよい。いま韓国がこの水準まで来ることができたのはニューリッチのおかげだ。しかし各種試験などを通じて上層に上がったニューハイは そうでない。自分が受けている特恵を認識できず、責任を果たさない『賎民上層』の姿を見せている」
--西欧とはどんな違いがあるのか。
「西欧には上流社会が存在する。200年以上も地位を維持してきた尊敬を受ける集団、尊敬を受ける階層がある。米国の最高裁判事、英 国の貴族がそうだ。英国のヘンリー王子は王族だが、アフガニスタンに行ってヘリコプターを操縦した。こういうものが真のノブレス・オブリージュ(社会指導 層の道徳的義務)だ。しかし韓国社会の高位職層は歴史が短く、それができていない。そのため自分の下の人に大きな態度をとり、一般大衆を相手に傲慢な行動 をする。我々の高位職層の子どもの兵役免除者は20%を超える。一般人は4%にならない。軍隊に行ってもみんな楽な職務を引き受ける。このようなことを見 てこの人たちを尊敬するだろうか」
宋教授は高位職層が自分たちが特恵を受けたという点をはっきりと認識するべきだと述べた。この人たちが高い地位に就けたのは自分の努力と同じくらいの運が作用した結果という理由からだ。
--高位職に就いた人は納得しがたいようだ。
「高位職層に対し、今の地位にどのように上がったかと尋ねると異口同音に答える。『自分の努力と血と汗の成果だ。ただ自らを高め、練 磨した競争力を通じて手にした』という。さらに富裕層の家庭に生まれた人たちも話す。『環境には恵まれていたが、社会の激しい競争関係を勝ち抜いたのは自 分の努力のため』と。この人たちが努力したのは事実だが、これは半分の真実だ」 (中央SUNDAY第494号)
--残りの半分は何か。
「我々の社会の高い地位は通常、試験という関門を通過するところから始まる。大学入試、大企業入社試験、国家試験…。ところがこの試 験の当落は通常、数点差で分かれる。0.5点と1点の間に無数の学生が集まっている。ところが誰かが落ちて自分は受かる。言い換えれば、自分の合格は他人 の『犠牲』の上でのことだ。実力の差が大きいと話すのは傲慢だ。当落圏にいる人たちの実力は似ている。他の誰かでない自分が今ここにいるというのがどれほ ど『幸運』かを知らなければいけない」
--特恵を受ける人たちはどうするべきか。
「1983年のラングーン事件当時に亡くなった徐錫俊(ソ・ソクチュン)氏という大学の同期がいる。朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統 領当時、40歳にもならない年齢で経済企画院長官になった。長官就任時に私が尋ねた。どのようにして若い年齢で長官になったのかと尋ねると、『部署には私 より優秀な人が本当に多い。私がなったのは本当に運がよかったからだ』と話した。彼の返答は40年過ぎた今でも忘れられない。自分が特恵を受けたというこ とを認識することから始めなければいけない」
しばらく考えていた宋教授は突然、かばんから紙とペンを取り出した。宋教授はA4用紙の裏に力強い筆致で「見危授命」と書いた。『論 語』に出てくる言葉だ。宋教授は『論語』 『孟子』に出てくる言葉で2回も書芸展を開いたりもした。「特恵を受ければ責任を負わなければいけない。最も重要な責任がこの4文字だ。国が危機である時 に真っ先に自分の命を投げ出す覚悟でなければいけないということだ。英国の上流層の子どもたちが通うイートンカレッジの卒業者のうち第1、2次世界大戦で 戦死した人は非公式記録で5000人にのぼる。既得権を持つ人たちが、国が危機を迎えた時に真っ先に駆けつけた結果だ。英国はそれで過去300年間、戦争 に負けたことがない。このおかげで、我々よりさらに葛藤が激しく貧富の差が大きくても『ヘル朝鮮』のような自嘲が出てこない。高位職層が特恵を受けた分だ け責任を負うからだ。しかし我々の高位職層にはこうした姿がない」
--どういう面でそうなのか。
「禹柄宇(ウ・ビョンウ)民情首席秘書官を見て思う。自分自身と自分の家族のために勉強し、今の地位に上がった典型的な上層だ。しか し、いくら自分が潔白だといっても、国がこのように騒がしいのにその地位にとどまるのは話にならない。国民と国に呼ばれてその地位に就いたという使命感、 自身が特恵を受けたという認識がないからだ。『○○マフィア』に象徴される前官問題もそうだ。多くの所得と権力を手にした人たちが任期が終わってもまだそ の特恵を享受する玄関にとどまるのは恥ずかしいことだ。『孟子』に出てくる『貪位慕禄 不主於行道』がそれだ。地位とお金に欲を張って道理に合う行動がで きないという意味だ」(中央SUNDAY第494号)
--我々には尊敬される上層がいないのか。
「いる。遠く遡れば新羅の上層がいる。黄山原の戦いで一人で馬に乗って百済軍に飛び込んでいった花郎の官昌が代表的な例だ。新羅は上 層にこのように命を投げ出す人たちが多かったため、三国統一を成し遂げることができた。近ければ産業化時代の初期にもいる。当時、高位職官僚は国家のため だという使命感を抱いて近代化を成し遂げた。上層のノブレス・オブリージュで歴史を変えた動力が出てきた時期だ」
--変化させるにはどうすればよいのか。
「いくら政治制度を変えて良い大統領を選んでも今は限界がある。ポピュリズムと低成長のため政治に歴史的な動力を探すのが難しい時代 になった。それよりも上層のノブレス・オブリージュに動力を探さなければいけない。先に話した国家の危機に命を投げ出すのが最初だ。2つ目は、不平等が激 しい時に既得権を手放さなければいけない。3つ目は、平常時には他の人々を配慮して譲歩するべきだ。特恵を受ける人たちが無限の責任を負うことになれば、 これを中心に我々は歴史的な動力を得ることができる。この時代の絶望を希望に変えられるはずだ」
宋教授はソウル大政治学科を卒業し、75年から延世大社会学科教授として在職した韓国社会の代表的な第1世代社会学者だ。『組織と権 力』 『開かれた社会と保守』など7冊の著書と学術論文80件を出した。1学年を対象に講義する時は1学期間のノートを学期末にチェックして単位に反映し、出席 を厳格に点検した。2001年には1年間にわたり中央日報に「ノブレス・オブリージュ」と題したコラムを連載した。2002年の退職後には名誉教授として 活動し、さまざまな講演活動をしている。弟子のチョン・サンジン・ソウル大環境大学院教授は「先生が国内でノブレス・オブリージュ概念を大衆化させた」と 語った。
宋教授は今回出した本『特恵と責任』が最後の著作になるだろうと語った。
「私は80歳。頭の中にはまだ3冊以上の本の構想があるが、もう本を出すのは難しいのではないかと思う。今回の本を最後と思って出し た。この国の変化が切実に求められるという思いであり、上層が変わらなければ希望がないという考えだった」。1時間半を超えるインタビューの時間、宋教授 は終始、国の心配をしていた。(中央SUNDAY第494号)
(http://japanese.joins.com/article/963/219963.html?servcode=400§code=400)