韓国経済、【ノーベル症】韓国唯一のノーベル賞が平和賞なのは偶然ではない「ろくに知らずに大言壮語して虚勢を張る人だけが日本を見下す」
記事要約:たまに韓国にも突然変異でまともな遺伝子を持っている要注意人物が存在する。以前にも格差社会における社会学者の韓国人の鋭い韓国への指摘もそうだった。そして、今回の記事もまたあまりにもまともすぎる的確な論理を展開している。朝鮮日報の楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹 という人物。
この人物はかなり韓国人というものを理解している。韓国人だから韓国人を理解しているのは当たり前だと思うかもしれないが、韓国人が韓国人を理解するというのは実は非常に難解なのだ。大事なことなので2回申し上げた。なぜなら、韓国人の根底にあるのは日本に対する劣等感と自虐史観なのだ。その劣等感を克服し、自虐史観さえ自らを省みる韓国人なんてほとんどいない。そして、日本の立ち位置と自国の立ち位置を正しく理解している。まさに突然変異としかいいようがない。
管理人がべた褒めしているわけだが、こういう人物は非常に厄介だ。さっさと親日罪で他の韓国人から批判を受けて即退場させるべきだろう。そして、この手の記事を掲載できる朝鮮日報もやはり侮れない。自国のことを正確に掴んでいる「韓国人」はとても危険である。ノーベル賞の火病満載の記事なんていくら読んでも自体を正確に掴むのに適してない。
しかし、こういった記事は読んだ者に自己啓発を促す。韓国人が火病している間は全く取るに足らない存在なのだが、こういったまともな韓国人が増えてくると我々日本人は韓国という国そのものを今まで以上に危険な国として認識しなければならない。なんだろう。管理人はまともな記事を読みたいとおもうわけだが、まともすぎる記事は警戒しなければならない。
まだまだ少数派だと思われるがこういった危険視できる人材が韓国に存在していることは日本人も知っておく必要があるだろう。劣等感や火病とは異なる世界から冷静に自国を見つめていける。しかし、登場するのは少し遅いと思う。あと、10年ぐらい前にこういった記事が出てきていればまだノーベル賞への可能性もあったのだろうな。
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韓国経済、【ノーベル症】韓国唯一のノーベル賞が平和賞なのは偶然ではない「ろくに知らずに大言壮語して虚勢を張る人だけが日本を見下す」
われわれはなぜか日本人がノーベル賞を受賞すると「韓国は何をやっているのか」と興奮する。
米国人、英国人、ドイツ人が受賞しても何とも思わないのだが、日本人が受賞するや、韓国の科学水準を嘆く。先ごろ日本のあるメディアはそんな韓国人をおかしな人々だという趣旨で報じた。
韓国で「リオ五輪で日本が活躍したのに韓国はどうなっている」などという報道が相次いでいた時期だ。
今年も日本の科学者が22回目となるノーベル賞を受賞すると、「日本にはできるのに韓国はなぜできない」といった論議が盛んだ。
話を聞くに、日本がやることは韓国も当然やることができ、成さなければならないと言わんばかりだ。日本人にしてみればあきれることだろう。
日本が近代科学研究を本格的に始めたのは100年以上前のことだ。科学、数学、物理学、化学、医学といった言葉自体、日本人がつくったものだ。
韓国人が使っている具体的科学用語は言うまでもない。東北大の小川正孝教授が43番元素を発見し、「ニッポニウム」と名付けたのは1908年だ。それは20年後に否定されるが、後に新元素の発見自体は事実だったと確認された。
それから100年余りたって、2012年に九州大の森田浩介教授の研究チームが113番元素を発見した。それは今年、100年前の「ニッポニウム」に似た「ニホニウム」と正式に命名された。
森田教授らはニホニウムを発見するため、7年間で400兆回の実験を行ったという。物質の根本をめぐる100年の時間を通じた日本人の執念を知れば、「日本はノーベル賞を受賞できるのに韓国は何をしているのか」とは質問できないはずだ。
100年余り前、西洋の宣教師が撮影した韓国の姿は乳をあらわにした女性たち、数カ月は水浴びしていないであろう子どもたち、ふん尿だらけの光化門通りだった。
それに比べれば現在の韓日の差は縮まった。それでも格差は存在する。韓国が気付かないだけだ。韓国人は「世界で唯一日本を見下す韓国人」という言葉を聞くと悪い気はしない。
そんな声に酔う人もいる。実はそこに「おかしな韓国人」という言葉の意味がひそんでいる。実際には日本を見下す国など世界に存在しないからだ。
日本を見下すためには日本に対し無知でなければならない。ろくに知らずに大言壮語して虚勢を張る人だけが日本を見下すことができる。
ノーベル賞にこだわることも、知らずに虚勢を張っているためではないかと感じることがある。普段は科学に全く関心がない。
科学を知らないことを恥じるどころか随分と堂々と論じる人も多く見掛けた。それを「知性ある人」の特性の一つと考える人も少なくない。
それでいてノーベル賞発表の時期になると興奮するのは、普段バドミントンやレスリングに関心がないのに、五輪で金メダルを取れと騒ぐようなものだ。
米国のあるメディアは最近、「世界で最も本を読まない韓国人がノーベル文学賞を待ち望んでいる」と指摘した。余計な説明はいらない。
韓国で毎年1回高まるノーベル賞への熱気はどう見ても自己顕示主義、一発狙いに思える。
100年余り前に西洋の軍艦が漢江沿いで艦砲を撃つと、驚いた王族は宮廷の裏庭に釜を埋めたという。シャーマンの指示通りにしたのだった。
昔だけではない。さまざまな選挙期日が法律で定められる前まで、韓国の大統領選、総選挙の期日は占い師が決めていた。当時は大統領に有利で野党総裁には不吉な日取りを選んだ。実務責任者から直接聞いた話だ。
韓国社会と韓国人の意識の根底には今も科学と理性ではなく、迷信と感情が存在するのだと思う。非科学、非理性が支配する国がノーベル賞を切望していることになる。
韓国の科学者は韓国のノーベル賞受賞も遠くないと言う。有力な候補がいるのだという。そう望みたいものだ。しかし、韓国の社会風土が科学と懸け離れているという問題はノーベル賞を数回受賞したとしても変わりない。
狂牛病(BSE)や電磁波に関するデマは科学と理性が支配する社会では決して生まれないが、韓国では社会全体を覆った。科学と理性で立証されていても、「米国産牛肉などお前が食え」「THAADが安全ならば、お前の家に置け」などと主張する。
デマにだまされてもまた新しいデマに振り回される。
韓国が過去に唯一受賞したノーベル賞が政治賞(平和賞)であることは決して偶然ではない。善かれあしかれそれは受賞に値すると思う。これからも受賞者が出るかもしれない。
ノーベル文学賞も受賞できるだろう。しかし、科学分野のノーベル賞はそうはいかないだろう。韓国人への科学分野のノーベル賞もいつかは生まれるだろうが、傑出した個人の成果であるはずだ。
社会風土が米国、英国、日本などとは異なるためだ。ノーベル賞よりも科学と理性が支配する社会風土の方が重要だ。変人かのような科学への執念もそうした風土から生まれ花咲くものだ。
(http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/10/06/2016100601120.html)