韓国経済、なぜ日本はノーベル賞を受賞するのに韓国は受賞できないのか
記事要約:毎年、韓国メディアはノーベル症といえるほど異常な執着をノーベル賞に見せるわけだが、韓国が受賞できない理由は色々ある。一番大事なのは韓国は基礎研究をしないからだ。すぐに結果だけを求めるからともいう。また、ノーベル賞はゴールでないということも理解していない。
そもそも、韓国人が人類に貢献したことが一度もないのだからノーベル賞をもらえるわけないんだよな。大体候補にすら誰も入ってないのだからまずは候補になるほどの実績作りが重要なんじゃないか。韓国の研究論文なんて捏造だらけだし、科学者の間でまともに引用されることも少ない。そういった意味ではまずはまともな科学者を育成するところから始めないといけない。
しかし、そういう科学者が稀にいたとしてもさっさと米国に移住するだろう。自分たちの研究成果がどうとかより、ノーベル賞が取れたかどうかしかみてないのだから。韓国では基礎研究の予算より、ノーベル賞取るためのノウハウ機関の方が予算回ってそうなんだよな。ノーベル賞に近道なんてないと受賞者が述べているのにもかかわらずだ。
こんな記事を毎年書いてる時点で当分無理だろう。いい加減、ノーベル症から抜け出さない限り、一生、ノーベル賞は取れないと自覚してほしい。
>この過程で私たちと何が異なっていたのだろうか。韓国で今までノーベル賞が出ないのは個人的能力のためか、研究環境のせいなのか、それとも社会システムの問題なのか。
むしろ、韓国人がそれにこだわるのが一番取れない原因じゃないか?こだわりすぎて、毎年、火病を起こして、まともな科学者の邪魔をしているんだろう。どうせ、韓国の科学者に会う度にノーベル賞はいつ頃取れそうですか?とインタビューしているんだろうな。ノーベル賞というのは、その分野の開祖となる存在や、新時代の技術革新に貢献した人物が対象だ。韓国人はまずそういった人物を育成するべきであって、日本のコピーや後追いではそういったものは産まれない。独自に道を切り開くんだ。
でも、管理人は韓国の数々の斜め上にイグノーベル賞を与えてもいいと思うんだ。管理人はいつも大笑いさせてもらってるしな。まあ、研究した結果ではないからイグノーベル賞にはならないのか。候補としてはナッツリターン事件とかどうだろう?4大河川工事とかも面白い。サムスン電子の爆発機能付きのスマホなんてのもどうだろう?候補はたくさんあるんじゃないか。韓国人にしかできないものばっかりだし。
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韓国経済、なぜ日本はノーベル賞を受賞するのに韓国は受賞できないのか
去る3日(現地時間)、今年のノーベル賞の中で最も先に発表されたノーベル生理学医学賞は、30年間顕微鏡で酵母を覗いた日本の学者が受賞した。
10月、「ノーベル賞の季節」が来た。
毎年ノーベル賞受賞者を予測してきた学術情報サービス企業トムソン・ロイターが先月21日に発表した資料によると、今年の賞にノミネートされた21人のうち、日本人科学者は生理・医学賞受賞者の1名、化学2名の計3名が含まれている。そして昨年までの日本の科学分野の受賞者は21人である。
このうち京都大学の出身者は6人で最も多い。これに日本の科学界では一時「京都大学の出身者はノーベル賞をたくさん受賞するのに、東京大学はなぜそうではないのか」という問いが話題になった。
それならばこのような問いも可能である。日本はノーベル賞を受賞するのに私たち大韓民国はなぜ受賞しないのだろうか。
日本がノーベル賞を初めて受賞したのは1949年で、1868年の明治維新から81年経った年であった。韓国が日本の植民地時代を経たとしても、1876年に開港して門戸を開放して1894年に甲午改革で教育体制を整備してから1世紀がふらりと過ぎた。
もちろん日本は韓国よりずっと早く西洋の科学的知識を吸収した。
1860年代から欧米各国へ留学生を派遣し、留学から帰ってきた山川健次郎が物理学の博士号を受けたのは1888年であった。韓国初の物理学者として知られているチェ・ギュナムが1933年に米国ミシガン州州立大学で博士号を受けたのに比べて45年先に進むものであった。しかし、日本はすでに67年前に最初のノーベル賞を受けた。
日本は1900年ごろに化学者高峰譲吉がアドレナリンを発見し、細菌学者北里柴三郎が第1回ノーベル賞の受賞者候補に名前を上げるなど、20世紀初頭から西洋と競争できるレベルに上がった。1917年に理化学研究所が設立された後は、物理学の分野でも急激な発展を成し遂げ、敗戦直後の1950年ごろには世界をリードするまでに成長した。
この過程で私たちと何が異なっていたのだろうか。韓国で今までノーベル賞が出ないのは個人的能力のためか、研究環境のせいなのか、それとも社会システムの問題なのか。
後藤秀樹が発行した「天才と異才の日本科学史」がその背景を教えてくれる。
1854年の日本の開国後、福沢諭吉が科学の普及に乗り出してから2012年に山中伸弥が16番目に科学分野のノーベル賞を受賞するまで、日本の科学者の150年余りの奮闘過程を描いた本である。
物理学、化学、生理学医学、原子力工学などの各分野を開拓した科学者を中心に、彼らの研究成果と裏話が、明治維新、日露戦争、太平洋戦争、敗戦と戦後、そして最近の福島原発事故までの社会像を背景に繰り広げられる。
著者は神経生理学を専攻した医学博士で、科学著述家として活動している。日本の科学者たちの生活を率直に誠実にユーモラスに描いたこの本は、第62回日本エッセイストクラブ賞を受賞した。ホ・テソン訳。 1万8000ウォン。
(http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20161004_0014427920&)